April 14, 2015

毛鉤の釣

原宿ノリエ glass rod


実は ”フライです” と言ったり文字にしたりするのがちょっと照れくさい


そもそもフライフィッシングの事など未だに殆ど知らないに等しいのだから、、、。


テレスコのグラス棹を手に キャンプのついでに再開したのが始まりだった

ワタシの渓流釣といえば 子供の頃に 近所の用水路で覚えた釣をそのまま峪沢へ持ち込んだにすぎなかった
そんなだから 特別な仕掛なんて必要としなかったし というよりも何が必要なのかさえも判っておらず
そもそも ココでの(渓流での)釣がある特定の魚種を狙った釣だったという事 それすら良く理解していなかった

仕掛や対象魚についてがソノ程度であるから 餌につても同じく未知の世界が待っていた

とにかく餌が必要という事で釣具屋へ行ったのだが
そこでは なんとメメズに可愛らしい(?)名前が付けられて売られていたのだ
これには笑う以前に呆れたものだ もしかしらた昔からそんな名前で売られていたのかもしれないけど
その昔は メメズは屋敷林の端っこにあった堆肥の隅を突けば幾らでも捕れたから そんなコトを知る由もなかったのかもしれない
だから この時まで メメズはメメズで ソレは太郎でも次郎でも無かった

とにかく綺麗な紙箱には ”リン太郎” と大きくデザイン文字で描かれていたのだ
それにしても あのメメズに(生餌に)名前が必要なのか?は いまでも疑問に感じている

それからもう一つ ”バイオちゃん” と記載のあるウジ(サシ)の正体だけど
(ちゃんは幾らなんでもどうかしてると思ったけど その命名の件はりん太郎の事もあり意外に受け入れ易かった?)
あのぶどう虫というものの正体を暫く不明のまま重用させてもらっていたのだが
実は アレの正体を未だに良く知らないで今に至っている

それでも一つだけ知っているのは 蛾のような とにかく空飛ぶ虫に変身する事くらいだろうか
それについてはこの目で孵化したヤツを見たので間違いない 
では何故孵化したのを見たかというと、、、、それは家庭不和の火種にも成りかねない事件なので2028年まで極秘扱いとなっている

とにかく 釣り場を未知の場へと移しての再開だったこともあり ホントに判らない事まみれの再出発であった

野宿


峪沢の水は想像以上に澄んでいて 周りの景色は非日常的な美しさがあった 
そして その美しい峪沢で釣った魚をよく食べた 焼いたり 揚げたりして、、、
特に小さなやまめは 揚げるとホントに美味かった なんたって小さなのは喰っちゃいけないなんてコトすらも知らなかったしね
ちょっと辛い大根をおろして うでたての蕎麦と一緒に食べる これが一番だと言っていいと思うがどうだろう

焼き魚と湯葉


こうなると(?) それにのめり込んで行くのも自然な流れで
そうこうしている間に あれよあれよと時は過ぎ 気がつけばどっぷりと といった具合である

兎に角そのあたりの諸事諸々を深く考えないで渓流で釣をしていたワタシだが

それがいつの間にか少しずつではあるが考えをめぐらせ始める というよりそうせざるを得ない雰囲気に包まれていくことになる

少年時代の釣プラスでの釣法には 別段なんの不便も感じていなかった 
が それでもいつの間にか日本式毛鉤の便利さに気づかされたり
 ”アレは餌を据えかえたりする手間が要らない” といったそんなずぼらな方面からのアプローチであったにせよだ
そして また暫く経ち 今度は時々見かけるフライ釣師達が使うあの伸縮自在ラインに魅入られることになるのだが
 ”仕掛をとっかえなくてもいいんだ”  といったこれもまたコンビニエントな入射角からの踏み込みであった

要はズボラ+便利に自分自身がまんまと釣られた訳だ

今思えばコレがややこしい展開の元に成るとは あの時は少しも頭になかった
もし仮にそんな警戒心が少しでもあったにせよ
それと引き換えにしても尚ソレは愉しく便利な釣法に見えたに違いない だから今こうしているのも仕方がない事なのだ

しかし あれから随分と経つが その愉快で便利な釣法に関して 未だに知らない用語が50000とある
人名についても同様に といったトコロである

rod and ,,,


それにしても何故なんだろう
この釣法に手を染めると 嫌でもヘンテコリンな語録に幻惑される事になるようだ
そしてその難解な解釈不明の語録が増えるのと反比例するように 幸わせだった頃のあの清流での釣果が減って行くのである
昔親しんだノベ棹釣と大した違いもなく 無心に愉しく魚を掛けていたあの幸運の日々が
何だか判らない御託のようなモノに惑わされている間に アレヨアレヨと何処かへ逃げていってしまったのだ

でも 出口はちゃんと見つかるもので ある日突然そんな憂鬱が晴れていくのだ
何かに気づいたというのでもないんだけど 兎に角ある日突然にその日はやってきた

前の日と何が違ったのかは未だにはっきりはしないが おそらく ”開き直り” みたいなものじゃなかろうかと
その日を境にまた普通にやまめが釣れるようになったのだから 今となっては別にどうでもいい事だけど、、、
そう 考えすぎは頭にも体にも悪いしね

毛鉤


何時しか釣れる釣にカムバック出来たワタシは まんま子供のように ただただ棹を振り毛鉤を投げ込んでいる

話は少し戻るが渓流で釣りをするようになって嫌な(悪い)ことが身に付いた
その悪いコトというのは ”あぶらっぱや” を外道と差別し始めたことだろう(要はヤマメ以外をという事)
これは他人が大きなやまめを釣り上げたのを目の当たりにしたくらい最悪だよ

逆に良かったことをあげろといわれると コレがなかなか思いつかない いやもうこれこそが最悪かな、、、。

なにも悪い事はしていないんだけど
時に薄暗い通らずなんかに閉じ込められたりすると 何か後ろ暗い事でもしてるかのようにビクビクしたりしてね
おまけに空耳だけど なにかの声が聞こえたりするともうイケナイ
ホントは何も聞こえやしないんだけど 兎に角そんな場面では臆病風に煽られてびくびくっとなってしまうのだ
何遍もいうけど ワリイことは なんもしちゃいねえんだがね

当たり前だけど 近所の田んぼに水を引く為の用水なんかで釣をしていた頃は
あの頃は何が釣れても嬉しかったものだ (それに滅多にビクついたこともなかった あるにはあったけど)
そりゃあ鮒のデカイのが掛かればうんと嬉しかったけど 赤や青のキラキラした色が混じったタナゴなんかが釣れても同じくらいうれしかった
クチボソだって同じだ
なんといってもアレは おばあちゃんがコレが一番旨いっていつも言ってたからね
大体外道なんて言葉すらも知らなかったし

最近あの頃みたいなココロで釣が出来たらいいなと想う事がある
でもそれは絶対に無理な事だ 残念ながらね

rod and reel


そうそう ”毛鉤釣” の話だったけど
毛鉤? ”フライフィッシングでしょ” といわれればそうの通りなんだけれど 
その釣に使う その ”毛鉤” を ”フライ” と呼ぶ事になんとなく躊躇してしまう(繰り返しになるけど)

何故かなと また余計な事に考えをめぐらせてみるが良く分からない
けれど しいていえば ”皆が” フライって言うから それなら ”オレ” は毛鉤って言おうかなって事かもしれない
そう ワタシはホントにひねくれモンだからね

時々 うんとたまにだけどどんなフライを使ってるのか聞かれる事があるんだけど
そんな時はホントに困ってしまう
どんな?って 如何説明すればいいのか分からないからね
こんな時こそ 偉い本から知識を吸い上げて ここで毛鉤についての講釈をたれなければいけないのだれど、、、
実はそんな偉い本を読んだコトもなければ触れたコトもないときている

これは個人的な感覚なんだけど
フライフィッシングをする方々というのは
とにかく難しいフィッシングの本を 話相手も必ず読んでいるという前提の元で会話を進めて行かれる方が多い
なので その話の取っ掛かりに(挨拶の直後に)発せられる単語が既にワタシには何がなんだか分からない言葉で始められてしまう といった具合なのである

そしてさらに
次から次へと人名や 道具の名前にシステムの話 そんなのがドンドン飛び出すといった辛い時間が続くのだ
それでもなんとなく想像と妄想をめぐらせは必死に相槌を打つのだけれど、、、
それもそう長くは持たない というか直ぐに耐えられなくなって その意味(誰か?)が不明である事を告げることになるのである

すると
その先へ話を進めたい方は コレコレこうでカクカクシカジカと根気良く説明してくれるのだが
そうで無い方は ----- 大抵は此方の紳士淑女が多い ---- ギョッとした表情で そして不思議な生き物でも見るかのような一瞥をくれてワタシの前から去っていかれる(釣の話が終わるという意味)

実は後者のような対応をされるととても嬉しかったりするのだが、、、、

難しい話は苦手 難しい事を考えるとつまらなくなるし また余計な事がついてまわることになる
だから説明の必要な毛鉤なんてのは要らないと、、、、

ついでだから言っとくけど
一体何種類あるのかと思わせるほど沢山の種類のが詰め込まれた毛鉤箱
おまけに 三つも 四つも サイズの違うのごとに別けておくなんて事も、、、
ワタシしたらナンセンスもいいところだ

ホントのトコロ 実際に使うものといったら年間通したって二種類か多くても三種類だしね(サイズも含めて)

別に多種の毛鉤を巻くのが嫌だという訳ではないし 拵えている方々を非難しているわけでもない
だけど不必要な事に多くの時間を費やす ”必要” は無いよね ”必要” なことは別にあるのが判ってるんだから

確かに 毛鉤を交換した後に今まで反応が無かった魚が動くことはあるけど
でも その突然の反応(心変わり)は ”毛鉤を変えたから” という指摘には大きな疑問を感じる(間違いとまでは云わないけど)
それは単に ”形の違うモノ” に変えたことによって ”流れ方” が変わったからであって ”毛鉤の違い” ではないと思う

”” A が B に変ったからじゃなくて何かが変わっただけ ”” という事だ

この ”何か” っていうのは 流れる筋でもあり流れる速度でもあり流れていく姿でもある
勿論それが交換する根拠だと云われれば そういう考え方もあるだろうけど
だけれども 交換なんてしなくても幾らでもその ”何か” は変えられるのだから 
なにもいちいち毛鉤を変えなくたって速度や流す場所 それに多少の容、姿もごまかせる

クドイようだけど交換しなくても流れ方は如何様にもかえられる

先ずは流し方を変えてみる そうすれば流れ方も自然に変わる(如何変えるかは考えなくても釣をしていれば直ぐに判るはず)
そうやって二、三度流せばいよいよ浮力も落ちてきて そのうちょっと沈んだ感じで流れたりもするだろう
そうそう とめたり引っ張ったりしてもいいよね 動きっていう変化だ
他にも 自分が前後に何歩か動いてその範囲で何度か投射するだけで流し方はうんと違ってくるはず
だからちょっと反応が無いからといって直ぐに毛鉤を変える前に もう少し自分が変わって(動いて)みればいいのだ

こうするだけで手持ちの毛鉤が たとえ三種類だけだったとしても その五倍十倍くらいの変化が生まれてくるはず
算数は苦手だけど おそらく実際には百通りも はたまたソノ余もの実力を秘めているという考え方が出来る と、、、、

”くらいの” ってのが味噌で ワタシは計算尺なるモノで計算をさせられたコトがある
で その物差しみたいなのでやる算数の答えは ”一つ” では無い
そう あの計算尺の良い所は ”こっからぁ〜ここまでが正解” ってとこね

拡大解釈すると ”なんでもいいんじゃない” ってことになる(実際には成らないけど)

ちょっと前に観たテレビインタビューに ジョンサーティスが登場してこう言っていた
 「ホンダのエンジニアが凄いのは紙に書いてではなく計算尺を使っていた」 と、、、
あのインタビューを観て再度確信しましたよ ワタシは正しかったんだとね(否定されても考え方は変わらないよ)

ついでなのでサイズについてももう少々

よく ”ココは#18くらいの小さなのでないと、、” とか云われる方がおられるが
そんな時でもワタシは気にしない

もっとも 素直にしたがってみる事もあるにはあるが
大体からしてそんな小さなのは持っていないので 無礼にも助言を頂いた直ぐ後でも その倍もある大きさの毛鉤を投射させてもらっている
勿論 後方からのねっとりとした視線を感じるくらいのデリカシーは持ち合わせてはいる
でもソコは釣課優先である 人の言葉より自分の信念と経験を優先させよう
仮にそれでダメだったとしよう そしたら謹んでその助言に従ったとしても遅くはあるまいと

変な例えになるけど

ワタシは小さなミカンが好きだ 大きなのはあまり好んで食べない
でも それがさくらんぼとなると こんどはちょっと大きめの方が断然おいしそうに思えてくる
さらにはぶどうになると これはもう小さな粒でも大きなやつでもなんでも良い

これと同じかどうかは別として
魚だって好みがあるでしょ? とはおもいませんか? ”思わない” なら話は終わりだけど、、、、

今其処で涌いている虫が小さいとして
今当に魚たちがその小さな虫に向かっているとしても そこにいる魚全員がその小さな虫が好物とは限らないなんじゃないかな
で その小さな虫の中にも体格差があったりもするでしょ? ”無い” なら話は終わりですが、、、 

要は涌いてる虫にサイズをあわせたとしても そのサイズの虫が大好きな子に対してはいいかも知れないけど
ソレより小さい子が好みのヤツもいるだろうし(仕方無しに喰ってる奴もいるだろう)
逆に大き目ののじゃないと食った気がしない 不満だよってのも居るんじゃないかな

だからサイズをあわせるってのも
一概にそれが筋だとも言えないきがしてる
まあ これもわざわざサイズを変えたくないって言い訳に過ぎないんだけどね

要は 魚にあわせるなんじゃなくて こっちにあわせてもらおうってこと
云うなれば ”モノグサ過ぎ” で さらに ”妄想癖” があるってコトかもしれない

コンスターブル


でも全てが手前勝手な拡大解釈論者のモノグサ野郎かというとそうでもないんですよ 

例えば 釣師は棹にうるさい方が多いですが その点ワタシはオトナシイもんです
正直 どんな棹でもいいかなって、、、 まあある程度の好みがあることは確かですがね
でも 棹なんて ”どれ振ったって十分か十五分も使えば慣れるでしょ” 慣れなさいな
だから 棹なんてねえ なんでもいいんですよ

でも これもまたモノグサその二みたいなもんかもしれませんが
ちょっと目先を変えた話で騙くらかすと不思議と納得してもらえたりしてね

だから分かり易いところで車に例えてみましょうよ そうですねポルシェにしましょう

するとこうなるんですね ”このポーシャ なぁんかギアが入れずれえなぁ” 大体そんな事いうんですよ
はじめて乗ったくせにね
でも ソノ先の角曲がって大通りに出る頃には気持ちよくなちゃって 
そんな事直ぐに忘れちゃう
で 仕舞いには ”ポーシャはこうでなくっちゃ” なんて嘯いてる
ものの五分しか運転してないのにね これは当に車に合わせてるわけですよ 無理してでもね

だから さっきは魚に合わせて貰らったってコトにして終わらせたけど
今度は反対に棹に合わせりゃいいってだけのコトって話です

そもそも道具なんてものは色や形 
そうそう一番が能書きなんかが気に入って手に入れてるはずなんで
ちょっと不満があろが それにあわせるしかないんですよ ある意味酔狂で手にしてるんだからね

だから ”毛鉤はなんでもいいし棹もなんでもいい” って事になるっていう錯乱した結末となるわけであります
では終わります

以上の ”私の毛鉤釣思考” をどう見るか 捕らえるかは人によって賛否はあるでしょうけど
それでも いんちき臭い手法の一つとしてこんなのもあるという事くらいでは 覚えておいても損はしないかなと
救われるか流されるかはとにかくその人次第ですがね、、、。

ふらい麻呂

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この記事へのコメント
いんちき竿師さん
三輪車チャンピオンてなに?風俗ですか?

それから
ボクはいんちきしないよ
いつでもストレートラインの真っ向勝負です
Posted by m&M at April 18, 2015 18:27
よくわかりました。要約すると、

・「フライ」は駄目で「ふらい」ならOK
・いんちき臭いのは手法ではなくMさん本人である

ってことですよね。 目の付け所がシャープでしょ?

僕も酢ぅ飲んでソフラン入れたお風呂に浸かって
山瀬まみばりのやわらか頭になろうと思います。

ちなみに僕は三輪車のワールドチャンピオンでした。

by 竿師
Posted by cozy at April 18, 2015 10:13
やっぱりね そういう人は目の付けどこが違うんだと
普通ならきっちり答えだせよって思うはず
その柔軟な頭が肝なんだなって
だから尚のこと 遊びだからこそもっと緩くていいはずだよね
Posted by m&M at April 18, 2015 01:50
Big John はやっぱり凄いということがよくわかりました
二輪と四輪でワールドチャンピオンになったのは未だに彼だけですもんね
え?フライ?
まあまあ、何となく、ある程度、わかりました
毛鉤も竿も何でもいい、それさえわかればこっちのものです
Posted by Hendrix at April 18, 2015 01:14