幸運にも
幽かであるが
うちの近所には でんぱた入り組んだ谷戸が残っている
なんらかの理由で遠くのやまへ行けなかったり
たんなる朝寝坊で谷沢へ行く時間が無くなったりしたとき
そういう時にはこの谷戸へ分け入って
彼方此方徘徊しては
近所の雑木っていいなあ、、、と
負け惜しみ半分かもしれないが 大いにこのうらやまを謳歌している
そうそう大概は犬と一緒にね
だから 運悪く遠くへ出かける機会を逃したとしても
または 出かけてもいいけど 何時何時までに必ず帰って来なければいけないという事態になったとしても
だからといってそんな事を気にやむ必要なんてまったくナイのである
特にうちの新入り zoe はココでのんびり半日くらいを過ごすのがとても気にいっている
で あと半日は別のううらやまの広場で犬たちと群れるのだ
ボクはそんな幸せな犬を見ているのが好きなので
その日 遠くのやまへ行きはぐってたとしても それはそれでいいのだ と言う事にしている
自動車移動が苦手な zoe だけど
そんな彼女でも それを我慢して辿り着いた ちょっと遠くのやまもまた大好きである
そう 遠くへ行けばいったでそれはそれで大いにはじけるのだ
おそらく彼女なりに 近所の雑木林と遠くのやまとのスケール感の違いが判ってのコトだろう
アイツがそう言った(しゃべれないからね)訳でもなく これはまったくの想像だけどね
ようは 乱暴な云い方かもしれないけどある意味自分が納得できればいいのだ
確かに旅気分も大事だけれど 移動がナイというのはそれにも勝るのである
絶景も確かに素晴らしいが 雑木の隙間から眺める街を挟んでの遠景もまんざらではない
それを犬に教えられたのだと云うつもりはない なぜならそんな事は決してないから
ただし それとなく気付かされる事はある やんわりとではあるが ちょっとしたショックとともにね
犬は三代目を継いだばかりで歳も若い にもかかわらず なにもかも先刻お見通しなのである
それにひきかえ人ときたら、、
こんなに歳をとってやっと少しだけ思いしるに至る、、、、だから長生きしないと犬には追いつけない
長めの散歩みたいな感じでうろうろと二時間くらい歩きまわった後
適当な場所を見つけて飯を炊く
その間犬は面白くないらしく 穴を掘りだしたり そこいらに落ちてる枝を破壊したりしはじめる
なので イイカゲンその行為がエスカレートした頃を見計らって 先にご飯を用意してあげるのだ
そうするとヤツは 飯を喰っている間だけではあるが大人しくしていてくれるから此方も落ち着いて炊飯に集中できるのである
まあ 火を入れたらあとはほったらかしとけばいいので 特に集中する必要なんてないんだけどね
こんなふうにして 一日の半分がゆらゆらと、、、、、、
大晦日に hendrix くんと一緒に自転車で近所の谷戸を巡った
いつもは歩きなので 自転車から眺める少しだけ高い目線からの谷戸は新鮮だった
自転車なので一気に行動範囲が広がる
少し離れた余所さまのうらやまへもひとっ飛びといった具合である
しかし 自転車だと犬を連れてというのはちょっと叶わない
”犬を仕込めばいい” と言われそうだけど
此方の愉しみの為にそんな事を犬に強いる訳にはいかない
なのでそれは潔く諦めよう
”気がついたら犬が付いて来た” みたいな
そんな事にはならないだろうけど
仮にそうなれば そうしたら その時は一緒に遠くの谷戸を走りまわればいい事だからね
久しぶりにわりと大き目のわらぼっちを見た
自慢じゃないが ボクのなかの想い出のわらぼっちはもっとデカイ
いや もっとどころではない
三倍か 四倍か、、、、とにかくぼろい自転車とかで体当たりしたところでびくともしないくらいにずっしりと
おまけに背丈も高かったのだ、、、
だからコレがわらぼっちじゃないとは云わないけどね、、、。
とにかくそれを横目に小高い所にあるベンチを目指す
誰かが設えてくれたベンチから丹沢が見えた
近所の谷戸から遠くのやまを眺めるのは悪くない
というよりかなり好きだ
眺めているうちに だんだんとその遠くのやまへ行きたくなるのだけれど
そのモヤモヤ感がどんどん膨らんできて ”ああ 明日こそ“ なんて想いになる
それもまたいいんだよね
”きょうは鳥が見当たらないね” とか話していると
さっき僕らが漕ぎ上がってきた方から人が上がってきた
その人はここの谷戸の事ならなんでも知っている人だった
hendrix くんはその小父さんとこの辺りの事やなんかを暫く話込んでいた とても楽しそうに
帰り路
城跡にある祠に立ち寄った
そんな穏やかな大晦日 明日はお正月だ